ヨムタカの読書録

出会った本の感想録と歓びの共有を目指すブログ

<荒涼館/チャールズ・ディケンズ>~エスターと愛すべき愉快な仲間たち

50人は超えるであろう登場人物は、極端なまでに善悪に性格を振り分けたられており、時に矮小化が過ぎるのでは?と思うシーンもしばしば。しかし、彼らが織りなす魅力的な会話劇は、知らぬ間に読者をどんよりとした19世紀ロンドンの路地裏深くへと誘う。更にミステリー小説の要素も併せもつ本書は、目まぐるしく人称の視点を変え、多くの伏線を活用しながら、驚くべき真相へも迫っていく。ヒロイン(?)エスターと愛すべき愉快な仲間たちが繰り広げる文句なしの名作長編『荒涼館』(チャールズ・ディケンズ著/ 佐々木徹訳/ 岩波文庫

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訴訟と結婚

もし、この物語でヒロインを挙げろと言われれば、遠慮ぎみで道徳を重んじるエスターが筆頭候補になるのは間違いないだろう。ただ、彼女が占める重要な立ち位置と同じくらいに、重要で魅力的な登場人物がこの作品には多く存在する。この作品では章ごとに物語を語る視線が変わる為、読者は裁判所からスラム街へ、時には貴族の屋敷まで19世紀イギリス社会の隅々まで連れまわされることになる。

この泥深い日の午後の社交界を覗いてみよう。ほんの一瞥で足りる。社交界は大法官裁判所からさほど遠く隔たった世界ではなく、真っ直ぐにさっと移動できる。どちらも先例と慣習の世界

この作品がミステリー小説の側面も備えていることから、あらすじの紹介は一部に留めるが、この物語では訴訟と結婚が二本柱として機能している。(こういう言い方をすると離婚の為の慰謝料裁判のようだが、そうではなく)この二つは基本的には全く別々にで進むのだが、それに関わる人々は不思議と互いに交わる運命にあり、金銭問題や世間体など個々の思惑が入り乱れつつ物語は展開する。

時になかなか進まない物語にイライラしてしまう瞬間あるかもあるかもしれないが、そこはぐっと堪えて登場人物達の会話に耳を傾けてほしい。ほとんどはその人物を表現するべく描かれているように見えて、気づかない内に張り巡らされている伏線を見逃しているかもしれないからだ。伏線に触れないレベルで僕のお気に入り人物のセリフを一部紹介したい。

「この家の主が町に出かけ、ウナギを見る。そして家に帰り、奥さんを呼んで、「サラ、共に喜んでおくれ、私は象を見たぞ!」と言うとする。それは真理でーあろうか?」

スナグズビー夫人は涙を流す。

「あるいは、若き友よ、彼は象を見たとしよう。そして、帰宅すると、「ああ、町には何もなかった。ウナギしか見なかった。」と言う。それは真理でーあろうか?」

スナグズビー夫人は泣きじゃくる。

 どうだろうか。あまりにも意味がわからないと思うが、これはとあるインチキ(?)宗教家が夕食の場で行うスピーチの一部で、彼のインチキ具合が愉快な形で描かれている。もちろん彼もややマイナーキャラとはいえ、物語の主軸に無関係ではいられず、その後も度々登場することになる。 全4巻でわざわざここを抜粋するか?という意見もないではないが、それほど伏線を匂わせずに抜粋できる部分が少ない証拠と受け取っていただきたい。

19世紀半ばのイギリスとチャールズ・ディケンズ

『荒涼館』は1852年~1853年にかけて刊行されたヴィクトリア朝の大作家チャールズ・ディケンズの長編小説だ。

19世紀半ばイギリスは、フランスの二月革命/ドイツ諸国の三月革命等を中心としたヨーロッパ大陸での混乱を横目に、産業革命後の経済停滞からも復活し、未曽有の黄金期に突入する。ロンドンでの第一回万国博覧会には5ヵ月間で600万人を超す来場者を迎え、アヘン戦争/アロー戦争を通した清王朝との交易拡大やインド直接統治の開始など、イギリス帝国も拡張していくことになる。1860年代には、10人に1人が選挙権を有し、議会の主導者も中産階級出身者によって担われるなど、他国に先駆けた議会政治の成熟化も見られた。

チャールズ・ディケンズはそんなイギリスの中産階級の息子として生まれ、20代の内にエッセイ作家としてデビューするも、デビュー後は主に小説を中心に多くの作品を世に発表し、国民作家として一般大衆から高い人気を誇るようになる。『クリスマス・キャロル』の作者といえば、あまり外国文学になじみがない人もピンとくるかもしれない。

物語の隅々まで楽しんで

ちなみに、『荒涼館』は推理小説の側面も持つと言ったが、解説で佐々木氏が指摘する通り、後半に行くとあのシャーロック・ホームズを彷彿とさせる描写にも多く出会う。コナン・ドイルがホームズシリーズを出版するのは1891年からなので、この物語は、探偵冒険譚の走りとも言える所以だろう。

 また、私が紹介した岩波文庫版は発表当時同様の挿絵も掲載されており、カバーは当時の月間分冊の表紙が使われている。この辺りも当時の雰囲気を知るのに一つ大きな手掛かりになるかもしれない。

登場人物の多さに尻込みする方は、各巻の最初にきちんと主要人物が羅列されているので、ご安心いただきたい。(もちろん全員は網羅されてないと思うが、僕はそれで十分事足りた。)絶頂期のイギリスへ自ら飛び込み、物語の隅々まで楽しむ感覚を、もし誰かと共有できればこれほど嬉しいことはない。

 

荒涼館(一) (岩波文庫)

荒涼館(一) (岩波文庫)