ヨムタカの読書録

出会った本の感想録と歓びの共有を目指すブログ

<ジーキル博士とハイド氏>~想像力の向こう側

日本でも度々ミュージカルが上演され、子供向けの本も多く出版されているので、日本でも相当に知名度が高いだろう本作は、実は文庫本にして約130ページ程度と短い話だ。本書の最大の魅力はハイド氏が纏う雰囲気であり、ジーキル博士の苦悩の姿であろう。悪を濃縮したような人物やそこから戻れなくなる苦悩は、きっと自分の想像を超える凄まじさだろうが、限られた描写から思わずそこへ想いを馳せてしまう。『ジーキル博士とハイド氏』(ロバート・ルイス・スティーブンスン 著/ 村上 博基 訳/光文社古典新訳文庫

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ハイド氏を見ると誰もが、本能的な憎しみを覚える。

アスタン氏が彼に抱くこれまでのところ皆目解せぬ、おぞましさ、嫌悪、恐怖の説明にはならい。<ほかになにがあるんだ>困惑のすえに思うのはそれだった。<もっとなにかあるんだが、あてる言葉がみつからない。いやもう、あれは人間なんてものじゃない。原始人というか、それとも、りゆうなき嫌われものというやつか。

ハイド氏の見た目についは実はそれほど多くの描写があるわけではなく、服装を覗けば特徴としては、小柄で毛深いということが記載されてるくらいではないだろうか。その容姿から発せられる『おぞましさ、嫌悪、恐怖』は、主に彼を目にする登場人物達の目を通して語られている。恐怖の度合いは読者の想像力に任されているという事だが、それはホラー映画的なショッキング具合はないものの、徐々に鳥肌がたつような、背筋が凍るような、そんな感覚を覚える。 

本書は前半に弁護士アスタン氏の目を通して事件の全容が語られた後、ドクター・ラニヨンとジーキル博士の遺言で事件の種明かしがされるという構想になっている。ジーキル博士の遺言はそれ単体でも十分に魅力をもっており、ハイド⇔ジーキルという変化は見た目だけでなく頭脳や精神をも変化させることから、この苦悩は根が深い。

犯罪の完遂にほくほくしながら、今後の計画を考えて陶然となり、他方ではまだ足をいそがせ、背後に報復の足音がきこえないかと耳をすましていた。ハイドは唇に歌をのせて薬を調合し、死者にグラスを上げてほした。変身の激痛がハイドを責め苛むのをやめぬうちに、ヘンリー・ジーキルは感謝と悔悟の涙を滂沱と流し、ひざまずいて神の前に両手をにぎり合わせた。

ジーキルと同じ経験をしたことがある人物は誰もいないはずだが、不思議と自分のことのようにジーキルの苦悩をこの身に感じてしまう名文が続いている。

 

19世紀後半のイギリスとスティーブンソン

19世紀後半のイギリスではヴィクトリア女王のもと、保守党/自由党の二大政党が定着し、他ヨーロッパ諸国より先んじる形で、大衆民主政治が浸透し選挙法改正や初等教育の義務化など大衆を意識した諸改革が推進された。一方、ストライキも活発となり、労働者と社会主義者らが結びつくことで、将来の労働党へと繋がる動きもみられた。対外政策では19世紀を通して、植民地拡大を続け、インド帝国の皇帝へエリザベス女王が即位するなど、女王も王侯世界における地位の向上を果たした。女王の在位60周年式典(1897年)には帝国各地から陸海軍が集結し、帝国の繁栄を象徴した。

ジーキル博士とハイド氏』はイギリスの小説家スティーブンスンによって、1886年に出版されたので、19世紀後半のイギリス概要を記載したが、実はスティーブンスンは人生の半分ほどを国外で過ごしている。幼少期から、父の勧めで法学を志すも、文学への気持ちが諦められず、エッセイなどの文筆活動を精力的に行う(この辺りは、約半世紀前のフランス小説家フローベールと似ている。。)その後健康回復の為、フランスへと渡り、そこで恋した人妻を追ってアメリカへ渡る。その後、イギリスへ戻るもまた療養のためスイスへ渡り、フランス、南イングランドタヒチ、ハワイと44歳で急死するまで世界中を転々としている。スティーブンスンは『宝島』の作者としても有名だが、晩年は怪奇小説を多く書いていたらしいので、『ジーキル博士とハイド氏』の方が、お気に入りだったのかもしれない。

気軽に手に取って

本書は出版後たちまち人気となり、1年半後にはすぐに戯曲が上演されている。しかも、当時の日本人がそれを見たという事で、その紹介記事が解説に全文記されていて、これはこれで非常に興味深かった。

名前は知っているけれど読んだことがないという人も多いだろうが、2時間くらいで気軽に楽しめる作品なので、ぜひ手に取ってみてはいかがだろう。