ヨムタカの読書録

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<マンスフィールド・パーク/ジェイン・オースティン>~内気っ娘ファニーのドタバタしない系恋愛小説

突然見知らぬ親戚の家に引き取られた内気な美少女が、自然豊かなマンスフィールド・パークに住む人々と交わり、感受性豊かに成長する中で、生真面目な親戚家次男坊への恋心を募らせていく。

もし僕が、そんな『マンスフィールド・パーク 』のあらすじだけを聞いたならば、きっと「うーん、た、退屈そう。。」という反応をするだろう。しかし、読んだ後には、「いやいや、あらすじはあってるけど、、、魅力の説明不足が甚だしい!!」と思い直すこと間違いなし。個性豊かな住民達と繰り広げる内気っ娘ファニーのドタバタしない系恋愛小説『マンスフィールド・パーク』(ジェイン・オースティン 著/中野康司 訳/ちくま文庫

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主役ファニー以外のキャラの濃さ

この小説は三人称形式だが、ほとんどのことは主人公ファニーの目を通して語られている。三人称形式なので、ファニー以外の人物の内面も語られるが、基本的にはファニーがいる場所で物語は進行し、読者もファニーの内面にフォーカスしていくことになる。

ただ、はっきり言ってファニーは地味だ。いや、もちろん叔母からひどい仕打ちを受け、従姉妹達からバカにされながらも、健気に成長していく姿や想い人エドマンドへの嫉妬/愛情が入り混じった感情の動きは読者を強く惹きつける。

例えば、エドマンドが夢中になっている都会っ娘ミス・クロスフォードへの気持ちを(自分に惚れているとも知らずに)ファニーへ喜び打ち明けた後の、ファニーの心情描写などは、それまでのストーリーを追ってきた読者からすると共感せずにはいられない。

ああ!ミス・クロスフォードが彼にふさわしい女性だと思えたらどんなにいいだろう!もしそう思えたら、事情は全然違ってくるし、こんなに耐えがたい気持ちにはならずにすむだろう!でも彼は、ミス・クロスフォードを誤解しているのだ。ミス・クロスフォードが持っていない長所をさかんに誉めあげるし、彼女の欠点は昔のままなのに、いまのエドマンドには、彼女の欠点がまったく見えなくなってしまったのだ。ファニーはそのことを思ってさめざめと涙を流すと、激しく興奮した気持ちはやっと少し落ち着いてきた。そしてそれにつづく激しく落ち込んだ気持ちも、エドマンドの幸福を願う熱心な祈りによって、やっとすこしずつ和らげることができた。

ただ、そんな主役ファニーを押しのけるように、周りの人々のキャラが濃い。ファニーが預けられている準男爵バートラム家の人々だけでも、サー・トマス準男爵、バートラム夫人、長男トム、次男エドマンド、長女マライア、次女ジュリア、ノリス夫人と結構な人数がいる。物語の入り口、ファニーがバートラム家に迎え入れられるシーンには準男爵一家のキャラクターが象徴的に描かれる。

ノリス夫人は、一番先にファニー・プライスを出迎えるという手柄を立て、ファニーをバートラム家に案内して、その親切な手にゆだねるという大役を果たし、まさに得意満面であった。

(一部省略)

サー・トマスは、こういう内気な子は元気づけてやらなくてはいけないと思い、リラックスさせてあげようといろいろ気を使ったが、あいにくサー・トマスの態度は、非常にいかめしいところがあるので、なかなかうまくいかなかった。いっぽうのバートラム夫人は、夫の半分も努力せず、夫の十分の一も口をきかず、ときどきやさしそうにほほえむだけだった。

(一部省略)

でも二人の娘たちは、人前に出たり誉められたりすることに慣れているし、生まれつき内気ではないので、ファニーの自信のなさそうな態度を見ると、すっかり自信と落ち着きを取り戻し、ファニーの顔やワンピースを、冷ややかな感じでじろじろと見つめた。

更に、隣人グラント夫妻、都会ロンドンから一時的に身を寄せているクロスフォード兄妹など、物語の登場人物は多岐に渡る。それぞれがファニーへ一定の影響力を持ち、物語の進行に重要な役目を果たしていくのだが、特に女性キャラクターを描写する時、作者ジェイン・オースティンの筆は冴えわたる。

その中でも、僕の個人的なお気に入りはノリス夫人だ。彼女はあらゆるシーンに顔を出しては、持ち前のお節介を最大限に発揮して、場を乱していく。時には長々話した挙句、場を乱すことすらできずに、「なんでわざわざ発言したの。。」とため息がでる。でも「こういう親戚のおばさんいるよねーーー」と頷かずにはいられない。以下は物語中盤ファニーが社交界デビューする時のドレスをサー・トマスが褒め上げた直後のノリス夫人のセリフだ。

「えっ?ファニーがきれい?それはそうですとも!」とノリス夫人は大きな声で言った。「こんなに恵まれた身の上なんですもの、きれいになって当然よ。バートラム家に引き取られて、いとこたちの立派な礼儀作法を見て育ったんですものね。ね、サー・トマス、あなたと私が、ファニーのために何から何までしてあげたんですよ。

(一部省略)

あなたと私があの子を引き取ってあげなかったら、いまごろあの子はどうなっていたでしょうね。」

そもそもノリス夫人は自らファニーを引き取るといったくせに、住む部屋も金銭的負担もすべて姉の旦那であるサー・トマスにおしつけている。その上でのこの発言に対してサー・トマスの反応は以下。

サー・トマスはそれ以上何も言わなかった。

こんな形で物語の進行に合わせて、各キャラクターの描写は深まり、読者の前に(不?)愉快な人々が活き活きと起ちあがってくる。しかも、そんな濃いキャラクターに囲まれているせいで、一見地味なファニーの誠実さや道徳的な性格が、魅力的な『正義』として浮彫りになってくるのだ。作者ジェイン・オースティンとしてもそれを意図しているのだろう、なかなか報われないファニーも最後には幸せな結末が待っている。

19世紀初頭のイギリスとジェイン・オースティン

マンスフィールド・パーク』はイギリスの女流作家ジェイン・オースティンによって書かれた1814年刊行の長編小説だ。

19世紀初頭のイギリスは、ヨーロッパ中を騒がせたナポレオン戦争に対する最大功労者として各列強諸国に認められつつあり、1814年のナポレオン1世の退位に伴い、その評判は頂点に達していた。戦勝のお祝いに集まった他国の貴族/軍人を、ジョージ皇太子(後のジョージ四世でジェイン・オースティンを愛読していたらしい)が山海の珍味で盛大にもてなすなど、イギリスはまさにヨーロッパ随一の超大国として名乗りを上げたと言えるだろう。

一方、着々とすすむ産業革命により、一般民衆には不況の波が押し寄せていた。物語後半で里帰りするポーツマスの実家では、そうした中~下流層の生活環境と貴族バートラム家の違いにファニーが失望する様子が、彼女にしてはめずらしくはっきりとした言葉で描かれている。

マンスフィールド・パークの生活には多少の苦しみが伴うが、ポーツマスの生活にはなんの喜びもない」

 

ジェイン・オースティン自身は牧師の娘として生まれ、比較的裕福な家庭で極めて平穏な生活を送っていたようだ。この時代、女性は結婚しないと一生親兄弟に依存して生きていかなければいけないが、彼女は独身を貫いている。

マンスフィールド・パーク』は中流家庭の著者が観察した自分の周りの人々を、あこがれの貴族家庭のキャラクターへ投影していった、そんな作品なのではないだろうか。地味なファニーは著者がモデルで(ジェインが地味な性格だったかはわからないけど)、ハッピーエンドはそんな彼女の希望でもあったのではないかなんて思ったり。

きっと知ってる誰かを思い浮かべながら

今から200年前の小説なので、当時の時代背景も合わせて少しだけ紹介したけれど、実際読んでいる時は、自然とこの時代の雰囲気や風景になじんでいた。皆さんも、19世紀イギリスの自然豊かなマンスフィールドパークの風に当たりつつ、登場人物たちを見て、「あー、たまにこういう人いるよねーーー」ときっと頷きながら読んでもらえるのではないだろうか。