ヨムタカの読書録

出会った本の感想録と歓びの共有を目指すブログ

<オスマン帝国 繁栄と滅亡の600年史>~ややマニアックな大帝国通史

オスマン帝国というキャッチーな語感の帝国は、高校で世界史を学んだ人なら誰しもが聞き覚えがあるだろう。然し他のムスリム系の王朝同様、あまりこの国自体がフォーカスされることはなく、とある戦争の一同盟国として掲載されているだけであったり、しいて言えば東ローマ帝国(ビサンツ帝国)を滅ぼした国として記憶に残っている程度かもしれない。

少なくとも僕は「聞いたことはあるけど、そもそも現代でいうとどの国があるところ?」程度の印象でしかなかった。そもそも一時は大帝国と呼ぶにふさわしい領土を支配して、ヨーロッパ史にも大きな影響を与えている国にしては、通史として一般の読者が読める書籍は少ない。そんなかゆい所へ手の届いたややマニアックな大帝国通史『オスマン帝国 繁栄と滅亡の600年史』(小笠原弘幸著/中公新書

 

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オスマン帝国って今の国でいうとどこ?」という疑問に直接的に答えるとしたら、トルコ共和国が基本的には後継国ということになるだろう。ただ、黄金期におけるその統治地域はアジア・アフリカ・東ヨーロッパに跨っており、現代の国で数えるのならば20ヵ国以上を支配していたことになる。本書ではその大帝国が黎明期から滅亡に至る13世紀末~20世紀初頭までの600年を36人に上る国王の生涯と共に辿っていくことになる。

 オスマン帝国はその領土拡大に伴い、多民族+多宗教を支配下に置いたが、その統治方法は予想と反し比較的寛容なものであった。一定の権利制限や税収による差異はあったものの、宗教の自由は認められており、同じキリスト教徒であっても宗派の違いで時には迫害や虐殺が行われていた当時のヨーロッパ諸国と比べると非ムスリムの住民も大分過ごしやすかったのではないだろうか。それどころか、キリスト教徒の奴隷を王の側近として教育することで、地域に根差した勢力の増長を抑え、中央集権化への足掛かりとするなど極めて柔軟な運用も行われていた。

一方で、比較的有名な話かもしれないが、新たな王が即死する際には今後の争いを避けるべく「兄弟殺し」を行うという慣行も存在した。その他にも、極力他国から受け入れた王妃とは子を設けず、奴隷身分の女性に王子を生ませるなど玉座争いの火種を極力残さない努力が随所にみられる。この辺りは西洋史的感覚とはかなり異なるし、道徳的な側面は別にすれば、このような慣習が長期にわたる王朝の維持に貢献したのは事実だろう。

ムスリム系王朝入門

上記には個人的に興味深かった点をいくつか羅列したが、その他にもムスリム法に関する記載や滅亡に至る経緯など、王朝の歴史を多面的に紹介している。地味なことかもしれないが、各章ごとに当時の勢力図が示されており、読者へ親切な仕様になっている。普段、歴史関係の本を読むときはグーグルマップを片手に読み進めるのだが、地名が変わっていたりするので、これは非常に便利であった。

また、本書ではオスマン帝国の歴史は今まさに評価が変わりつつあるということが度々強調されている

オスマン帝国時代の歴史は、民族の自立が圧制によって妨げられた「暗黒時代」として否定されるべきものだったからである。
だが、オスマン帝国の遺産は、滅亡100年を迎えるいま、かつてないほど存在感を増しているようだ。

(一部省略)

今のトルコの人々はオスマン帝国を恥辱の過去とみなさず、これを自らのルーツとして表明することを憚らない。トルコ共和国以外の旧オスマン帝国統治下の国々においても、近年、学会を中心にオスマン時代を客観的に捉え直そうという動きが顕著である。

トルコ共和国が自らのルーツとして、オスマン帝国を掲げることで国内の一体感を高めいたいという政治的な理由も手伝っているのようだが、それが逆に歴史(過去)と現代を繋いている証にも感じられ、評価の見直しが進めば、更にそれが僕らの歴史認識を改めていくという循環にもつながるのだろう。

もちろん600年という歴史を概観だけでも捉えるのは新書一冊では限界がある。ただ、「西洋史は好きだけど、ムスリム系の王朝へ馴染みの薄いなー」という僕のような読者へは読みやすく大変貴重な1冊となるのではないだろうか。